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zoom RSS エー・アンド・デイ古川 陽社長「お別れの会」多くの人が遺徳を偲ぶ−部下に押し上げられ創業し世界に発展

<<   作成日時 : 2016/10/24 16:11   >>

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デジタル計測機器や制御・シミュレーションシステムを主要事業に

 電子天秤、デジタル血圧計をはじめとする計測機器や各種の制御・シミュレーションシステムなど、アナログ画像(A)とデジタル(D)の変換技術をベースに事業を拡大する株式会社エー・アンド・デイ(A&D、本社・東京都豊島区、東証1部上場、以下、社名の株式会社は略)の古川 陽(ひかる)社長が7月14日に逝去。お別れの会が10月20日に帝国ホテル 東京(千代田区)で開かれた。大きな会場に一杯の人が集まり、創業者で73歳、現役社長のまま亡くなった故人に花を捧げ、遺徳を偲んだ。

82年にお会いし,筆者独立後も本や新聞記事で取材−VBを学ぶ

 筆者(松浦)は日本工業新聞(フジサンケイ ビジネスアイ)に入った1982年から、エー・アンド・デイがジャスダックに上場した2003年頃までよく取材し、この間、筆者は94年6月に日本工業新聞を退社しフリーになりましたが、画像翌95年4月に出した「ベンチャー独立宣言(T)」(ケイブン出版)に「転職するはずが、部下に押し上げられ社長に−アナログ(A)とデジタル(D)技術で価格破壊し急成長」というタイトルで古川氏のことを書き、また、ジャスダック上場の四ヵ月後にも当時、日本工業新聞にしていた連載「日本を変えるアントレプレナー」に03年8月15日と同22日付けの2回にわたり記事を掲載しています(記事と本は後段参照)。
 私は主に、まだ上場していないベンチャー企業(VB)の創業者を取材対象にしていますので、上場後は、あまり取材をしなかったのですが、古川氏からはベンチャー企業がどう成長していくのか、どうしたら上場するような会社に成長することができるのかを直接、学ぶことができたと思っています。それだけに、ご逝去は本当に惜しまれてなりません。

 行くたびに本社フロア拡張、「技術革新で新市場開拓」を実践

 古川氏に最初にお会いしたのは82年で、77年5月にエー・アンド・デイが設立されて5画像年が経った頃です。当時、同社の本社は渋谷区・道玄坂の途中のビルにあり、今でも渋谷に行くと、その頃のことを思い出しますが、鮮明に憶えているのは、次の2つのことです。
 まず、取材に行くたびに本社のフロアが拡張していることです。「今度、〇階の〇号室も借りました」という具合で、これだけでも「会社というのは生きているんだ」と実感しました。
 もう一つは、後発ながら、医薬・理化学品や各種の素材などの精密計測に使われる電子天秤で一気に市場を画像開拓したことです。それに関して古川社長に私が「ベンチャー企業はたくさんありますが、なかなか貴社のように短期間で事業を拡大するような会社は少ない。どうしてそんなに成長できるのですか」と聞いたところ、次のような答えが返ってきました。
 「技術革新があるところに新しい市場が開ける」「ベンチャーでブランド力もないので、精度(技術)とともに価格で勝負するしかない」「価格はコストを積み上げるのではなく、最初に目標とする価格を決め、いかにしたら、それを実現できるか考える」 (上の2つの写真は会場に展示されたパネル)

機械式天秤で経験を積んだ職人の感覚、細かい手作業に敬意

 古川社長の答えは、今、思えば、当たり前のことばかりです。しかし当時の私には、経済(産業)記者ながら、そこまで考えが及ばず、いささか恥ずかしい限りですが、82年6月に機械式天秤のメーカー、研精工業を子会社化画像(買収)して、天秤の“技術革新(コンピュータ化)”を図り、電子天秤の分野で快進撃していましたから、古川社長の言葉にも力が入り、「ああ、そうか」と目から鱗(うろこ)が落ちる思いでした。
 研精工業の本社・工場(茨城県下妻市)には私も行ったことがありますが、「機械式天秤の製造で経験を積んだ職人さんの感覚、細かい手作業は製品開発に役立つ」と古川社長が職人さんに対する愛情、敬意を込めて話していたのが強く記憶に残っています。こうしたところにも古川氏の姿勢、人柄が感じられるように思います(左上の写真=エー・アンド・デイグループ協力会の石川富夫 会長も「仕事を愛し、家族を愛し…会社と私達を最良の方向に導いて…人として義理・人情の深さ温かさの、お手本として…」と追悼文を寄せた)。

ベンチャーと大企業のパートナーシップで時代を先取りし新会社

 もう人一つ、古川社長のことで、驚いたことがあります
 それは85年に大企業の日本セメント(現・太平洋セメント)と合弁で、台秤(比較的大きく重いものを計る電子天画像秤)とロードセル(荷重変換器、A/D変換器)を製造するリトラを設立したことです。
 当時、ベンチャー企業と日本を代表するような大企業が共同で会社をつくるなど、あまりないことでしたが、埼玉県日高市に建設されたリトラの工場の開所式に行った私は、またビックリしました。
 それは日本セメントの当時の社長だった北岡徹氏が、じきじきに挨拶したことです。今でこそ、オープンイノベーションと言って、大企業とベンチャー企業の提携が増えていますが、当時、合弁会社とはいえ、相手は設立後10年も経たない会社。その開所式で大企業の名実ともにトップが挨拶するなど、ほとんどなかったように思います。
 古川社長の父が日本セメントに勤めていたということもあるかもしれませんが、ベンチャー企業と大企業のパートナーシップという点で、時代を先取りしていたと言っても良いと思います(右上は03年8月15日の記事)。

  「辞めるなら手伝いますから、いっしょに事業を始めましょう」

 拙著「ベンチャー独立宣言(T)」の古川氏の章に「転職するはずが、部下に押し上げられ社長に」というタイトルを付けましたが、ここで簡単に古川氏の経歴を辿ってみますと、古川氏は1943年(昭和18年)生まれで、東北画像大学工学部電気工学科を卒業して石川島播磨重工業(現・IHI)に入社。2年後にタケダ理研工業(現・アドバンテスト)に転職して、デジタル電圧計、デジタル温度計などの研究開発を担当、退職してエー・アンド・デイを設立する前は、開発一課の課長を務めていました。
 タケダ理研を退職したのは当時、同社が銀行や他社から経営支援を受けるような状態になったからですが、古川氏は会社を創業することなどは頭になく、「転職先を探していた」といいます。この時です。「部下に押し上げられた」のは……。
 「辞めるなら手伝いますから、いっしょに事業を始めましょう」――この言葉こそ、今日のエー・アンド・デイの出発点となったのです(左上は「ベンチャー独立宣言(T)のページ、本には20人のベンチャー企業経営者やベンチャーキャピタル経営者について書いています)。

技術力とバランス感覚を柱に−情熱衰えず,最後まで会社と一体

 筆者はこれまでたくさんのベンチャー企業の創業経営者を取材してきましたが、自ら会社を起こすような経営者は、アイデアや技術力、実行力などに(とんでもなく)優れ、意志も強固である半面、経理、財務にはあまり強く画像なく、技術者の場合は、営業も得意ではないというタイプの人が少なくないように感じます。
 しかし古川氏は「独自の製品を手掛けようと思ったので、最初から営業マンに参加してもらった」「財務が健全でないと開発投資ができないので、創業から15年ほどは自分で経理もみていた」と語っていました。
 ここに「社長(トップ)になりたい」から起業したのではなく、「部下に押し上げられて起業し、社長になった」古川氏のバランス感覚があり、そのバランス感覚と技術力が、同社を国内だけでなく、欧米、アジア、オーストラリア、ロシアなど世界に発展させる二本の柱になったと思います。
 お別れの会の会場には、写真が少しとグループ協力会・石川会長の追悼文、古川社長が好きだったお酒と煙草などが置かれている程度で、事業を国際的に広げても、誇示しない古川氏の性格、生き方、理念を感じさせる画像ようでした。
 古川氏の後を継いだ森島 泰信社長は創業メンバーの一人で、「お別れの会」の(会葬)御礼文にこんなことを書いています。
 「『1月は肺がん治療のため休む』と部課長の前で淡々と説明しておりましたが……年始挨拶も、病気どこ吹く風と精力的に全国を飛び回って……会社事業への情熱は衰えることなく、業務の傍らで治療を続けておりましたが、容態の急変により……」
 社長になりたくてエー・アンド・デイを創立したのではないとはいえ、やはり“創業経営者は最後まで会社と一体”だと筆者は改めて強く感じます。 (合掌)
 日本コンピュータ・ダイナミクス株式会社(リンク)
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